カメはレポートを書くたび速くなる。
ごく最近、感銘を受けるほど丁寧な仕事を心掛けておられるお客様とお会いし、改めてその有効性を感じたのですが、自身はもとより歴代の部下にも指導してきたように、あらゆる業務において出来るだけ日頃から、少なくとも業務の区切りにおいては、内部用もしくは外部向けに、必ずレポート等でログを残すようにしています。
これは、業務・進捗管理という目的以外にも、仕事の整理整頓と、それに付随するワークフローの効率化や、ノウハウ・ナレッジの共有化という側面があり、結果的に個人にも組織にもデメリットよりメリットの方が遥かに大きいためで、先のお客様の凄まじい業務効率や選手層の厚さを拝見すると、やはりこれは間違っていないと思いました。
ここで、特に日本の一部製造業において「忙しさ」を理由に、プレゼンチャートに補足も入れず、表紙をつけただけのものをレポートと謳っているものが散見されますが、これは本当にダメな文化だなと思いますね。
というのは、用紙の横長・縦長の違いにも表れているように、プレゼンチャートは「見せるもの」であって、レポートは「読ませるもの」なので、そもそもの機能が異なり、よって上記のようなメリットが殆ど得られないためです。
頭の中でまずラフレポートを書き、それを抜粋したものをプレゼンに落とし込むというのは定石で、仕事の区切りに頭の中のレポートを精査・完了させるというサイクルは、PDCAに沿った丁寧な仕事の癖付けにもなり、中長期的に仕事の質も効率も上がるのになぜそうしないのか?というのは、よくエンジニア仲間と話題になるのですが、文化として固定されてしまっては元も子もありません。
あまりにも偉大だった「団塊世代の引退」というのが大きいのかも知れませんが、実際、これまでの経験上まともなレポートを書けない/書かない/書かせない人や職場というのは、組織や産業を牽引する側ではありませんでしたね。
特に、若いうちに「ドン!バン!ドカン!」と豪快にやると、その瞬間仕事した「気」になるのは分かるのですが、いまの根幹を築かれた諸先輩方が残した、青焼き図面の圧倒的な迫力などに触れるうち、自然と丁寧な仕事をするようになるはずが、そういった文化ではそのチャンスすら無いのかも知れません。
美術館に行ったとき、何かを訴えかけてくる絵画というのは、その背景に隠れた多くの思いから抽出されたものであるのと同じで、苦労して論文を書いたからこそ秀逸な発表プレゼンができるというプロセスを経験しているはずなのに、ある意味で国民病の「無意識な自作自演の忙しさ」による弊害なんだろうなと思います。
ウサギとカメは、どちらが先にゴールに着いたかだけでなく、道中カメがじっくり観察・考察した風景や経験は、その後の両者にどのくらいの差を生むか。というのを、如何に上手に伝えるかというのは、コンサルタントとしての最も重い命題のひとつです。




